由良守応誕生地

 勤皇の士として活躍した守応(もりまさ)は明治初年二階建馬車を東京の浅草ー品川間を走らせたと言い、その誕生地のミカン畑に碑が建てられ、顕彰碑は興国寺境内にある。


由良守応
門前伊賀谷に生れた由良守応は、早くから勤皇の志を抱き、明治維新の大業に力をつくした。維新後、東京の浅草・品川間に日本で初めて鉄道馬車を創設、明治四年には、岩倉具視等のヨーロッパ行きに同行。宮内省用馬の購入につくした。晩年は和歌山市内に住み、明治二十七年六十七才で没した。現在、門前の伊賀谷の生地に誕生碑が建てられている。


由良町探訪トップページ