由良城跡

 はっきりとした記録がないが、この山であろうと言われている豪族由良氏が築いたもので戦国時代のものと言う。


由良城跡
由良町内で城跡といえば、鹿背城と吹井城と由良城である。何れも山城で由良城は砦程度のもので、落城年代は天正十三年で城主は由良庄左衛門重綱である。続日高郡誌に云々。興国寺の南山上に俗に十膳の段と呼ばれるところがある。ここは、庄左衛門なる人の城跡といわれ、天正十三年秀吉の南征軍によって落城したという。現在城跡というイメージはないが、ふもとに「但馬庄左衛門、妻操」のほこらがある。また興国寺によれば、門前は、後鳥羽院の皇后修明門院の領地で、代官伊王佐左衛門能茂入道西蓮とあり、由良庄左衛門はその子孫である。この山、海抜二百四十米にして山頂に砦あり、天正の頃、この寺の僧兵数十名が昼夜の別なく交代で見張りをしていたという。ところがこの年になって豊臣の軍勢二千余騎攻め来り、そのためノロシをあげて興国寺に通報、守勢にあたった僧兵これを合図に応戦、孤軍奮闘したが、装備な軍勢にたいしこちらは無防備なうえ、戦歴のない兵ばかりでとても歯が立たない。忽ちにして大門付近内側の諸寺焼かれ、同時に砦も打ち破られた。後々、この砦を由良城と呼ぶようになり、村人は龍前というようになった。おばけや火の玉がでて人々を悩ませたという 。しかし、ここに城のあったことや祠のあったことを、地元の人は余り知らない。つまり、幻の城であったのかも……。

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